一陽来復守りを知っていますか。
大晦日や節分の日にその年の恵方に向かって、お守りを貼ることで、その年1年の金運アップを願うお守りで、
私は以前、知人の経営者に勧められてお守りをもらいに行くようになったのですが、ここ数年はさらにブームになっているようで、お守りを買い求める人たちの長い長い長列が平日も続いています。
狙い目は平日の夕方のお札の販売が終了する少し手前なのですが、休日やお昼ごろは何時間待ちではないかと思われる長い長い行列ができています。
このお守りの面白いところはしっかり時間を計って、日付が変わったと同時に、お守りを貼る事なのですが、そのエンターテイメント性が受けているのかもしれません。
しかし私はこのお守りを貼ることをやめました。単純に年末年始や、節分の時期に、海外に出ていることが多いと言うのもあるのですが、
このお守りがどんどんメジャーになるにつれて、お守りを求めて並んでいる様子や、お守りを売っているスタッフの皆さんの余裕がない様子をこの数年見てきて、
正直、
全然豊かじゃない。
と思うようになったのが大きな理由です。
金運アップを願うお守りがなんだかギスギスした世界で売られているので、これが豊かさを運んでくれるようには思えなくなったんです。
それに、お守りをはれなかったり、引っ越しが理由でお守りを剥がしてしまった年に、なんとなく不安な感じを、私が一瞬でも感じたのもよくないなと思いました。
本来、自分が人生の主体で、
そのサポートとしてお守りがあるべきなのに、そうやって不安になってる時点で、お守りが主体になってるんですよね。お守りに、運気を任せてるわけです。依存です。
このお守りに限らずなのですが、お守りやラッキーチャームなどそれらがないことによって自分が不安になるのであれば、人生の主人公があなたではなくお守りになっています。
あれば助けてくれるけれど、なくても大丈夫だし、なくても悪いことは起きない。そのくらいの気持ちでお守りと距離を保つことができるのであればそれが1番ベストです。お守りに全てをゆだねたり、お守り次第で自分の1年がどうにかなってしまうようなそんな気持ちになるのであれば、それって豊かなことでしょうか。
金運アップのためにわざわざ何時間も並んでやっと手にしたお守りでむしろ不安になることがあるのであれば、
あるいは社務所とのやり取りで何となく気分が良くなくてそんなモヤモヤしたままお守りを貼ったりする。だってそれが金運につながるからやったほうがいいよね?
そんな感覚で取り組むのであればそれは総合的な豊かさと言う点で決して豊かでは無いですよね。金運もあがらないよ。
実際自分でデータをつけたのですが、お守りを貼っていた年とはらなかった年で、金運の流れが変わったかと言えば、全く関係ありませんでした。むしろ貼ってない年の方がお金の流れが良かった。
結局金運と言うのは、自分で呼び寄せるもので、そのために必要なのは、前向きに物事に取り組める肉体と精神なんですよね。(だから、心理の学びと、コーダサプリメントなんだよ!)
そういう意味では、お守りを買っていた時期というのは、心の弱さが露呈していた時期とリンクしているのかもしれません。
だから栄養の事や心理のことやってるわけですし、そこは、やっただけ答えてくれます。直接金運にもつながります。
スピリチュアルのことも散々勉強してきた上で思うのは、やはりこういう、お守りに依存してもいいことはない、ということ。
面白楽しくやれてるうちはいいけれど、こういうことに執着しはじめて、ネガティブな感情が湧いてきたらそれは要注意だと思います。
人生の主体はいつだって自分。
まして誰かが作った、他人が作ったお守りに委ねたり期待したりでは主体がずれてるよね
それは本末転倒だと思う。
自分の人生では、
自分が一番パワーあるんだから。
お守りを買った人を否定してるのではないですよ!自分も買ってたし!
買って楽しいのが一番なんだけど
自分はそれがなくなってしまった。
私は買うのやめたけど、そしたら買わなきゃって義務感もなくなって、なんだか前より依存のない自立してる感じ、自由な気分で開放的。
自分の人生は自分が主体。
それをしっかり感じて毎日すごす。
それが一番パワーが発揮できるよね。