こんにちは橋本翔太です。家にいる時間が増えて何か新しいことを始めた人はいますか。私は、昔から園芸が好きで、フラワーアレンジを勉強していたこともあります。今年は花を買う機会が増えました。花をいけたり、ベランダでのガーデニングを再開することで、改めて花が好きだなと再確認しています。写真は私がアレンジしたお花です。

さて、心理セッションで、抱えていた問題に気づき、問題の原因となっている様々な感情の解放、特に怒りや恐怖、そして悲しみを解放していき、交流分析等で扱われる人生脚本から降りて、自分の人生を行き始めると、多くの人が、今まで苦しんでいた問題から解放されて、感情が落ち着き、メンタルが落ち着き、死にたいと思ってた気持ちが晴れて、日々やる気に溢れて、人付き合いが強くなくなり、家族との関係が改善し、人生が大きく変化していきます。
ところがそんな中でも、どうしても繰り返してしまう問題、何度か使ってもなかなか消えない恐怖や、絶望が出てくる場合があります。
実はこれは、心理セッションでもなかなか消えない手強い恐怖や絶望と言うよりも、その人が自分でわざわざ、もう解放したはずの恐怖やかんじきったはずの絶望、自ら持ち出している可能性があります。
今日は、恐怖や絶望を持ち出す利得について考えてみたいと思います。
目次
●どんな問題にも、あなたがそれを抱えているということは、そこに利得がある
心理セッションを行う上で、大きな前提でありポイントになるのが、その問題を抱えていると言うのは必ずそこに利得があると言う視点です。
人間はどんなにその問題に苦しんでいても、どんなにその問題に悩んでいても、その問題の中に、メリット(得)があるから、その問題を持ち続けているのです。
これは最初はピンとこないかもしれませんが、心理セッションで問題をひもといていくうちに、確かにこれは自分が望んでこの問題を持っている、この問題を持っていることで自分の身を守っている、この問題があることでもっと嫌な感情や感覚を感じなくて済む、と言うように様々な利得が見えてきます。
問題の利得を明らかにしていくのが心理セッションではとても大切なことで、この問題の利得に気づくだけでも、その問題が半分解決してしまうこともあります。
●例えば人が怖いという問題の利得は?
例えば人が怖い、人に近づけない、友達がなかなかできない、と言う問題に悩んでいる人がいるとします。
この人の利得を深く掘っていくと、そうやって自分から人を怖がることで、自分から人と距離をとることで、仲良くなったときに1から傷つけられないで済む、仲良くなったら裏切られるかもしれないと言う恐怖があり、それを避けることができる、仲良くなった後に人が離れてしまうのが何よりも辛い。だから自分から親しくならないようにしている。
と言うようなメリットがあることに気づく場合が多いです。
つまりその人は人が怖い、と言う外側の相手に対して原因があるように感じていたのですが、自分から自分を怖がらせて、わざわざ人から距離をとっていた、と言うことに気づきます。
これに気づいた上で、では親しい人が自分から離れてしまうと言う恐怖はいつから感じるようになったのか、その恐怖を扱うセッションを行っていきます。
これは1つの例ですが、このように問題には必ずそこにメリットがあり、そのメリットを明らかにしていかないと問題はなかなか解決しません、なぜならその問題を抱えていることで得ているものがあるので、本人は無意識にそれを手放そうとしないからです。
●心理セッションで、恐怖を解放したり、絶望をうけいれる
この方向で心理セッションを行う場合、人が離れていく恐怖を解放していくと、人が離れてしまうという恐怖から、あえて人を遠ざけることがなくなり、人が怖いと言う感覚が軽減していきます。
その一方で、今まで自分の人間関係がうまくいかなかったのは、この恐怖のせいなんだ、中は人生を無駄にしてしまった、と言うような絶望感に襲われる場合もあります。
特に親子関係の問題で、共依存などがはっきりとわかり、自分が親のために生きてきたこと、自分の人生の指針はいつも親を助けるためだったと言うこと、あるいは、親を悲しませないために生きる、頑張る、というのが、自分の生き方であって、何十年間も自分の人生と言うもの生きてこなかった、と言うことに絶望する人もいます。
そしてさらに、ずっと親に愛して欲しいと思って頑張っていたけれども、どんなに頑張ってもあの頃欲しかった愛情が手に入らないし、どんなに自分がいい子になっても、どんなに親を助けても、ほしい愛情は手に入らなかった。と言う受け入れたくない現実を受け入れなければいけない時もあります。これも大きな絶望です。
子供の頃に満たされなかった感情感覚は、大人になっても無意識の場所で求め続けています。その無意識で求め続ける欲求が、東映を起こし、人間関係に問題をもたらす場合が非常に多く、それを止めるためには、親から愛されたいようにも愛されなかった、と言う現実を受け止めて、それに絶望する時間が必要です。
心理セッションがさらにすすむと、自分の今までの行き方がわからなくなったりします。
親のために生きてきたことに気づくのです。
あるいは親の愛情ずっと求めていたことに気づいたりします。
なのに親から愛されないと言う現実が突きつけられた時に、人が絶望します。しかしこの絶望も心の回復の上でとても大切なプロセスです。
ところが、この絶望からなかなか抜け出せない人がいます。そして同じく手放したはずの恐怖が何度も何度も襲ってくる人がいます。
実はこれは、恐怖や絶望を持つことが、利得になってしまっているのです。
●持ち出しの恐怖や絶望
これは前のブログでもお話しした疾病利得にもつながってくるような考え方なのですが、
心理的な問題
親との問題
恐怖
そして絶望
これらのどう考えても、手放したいし持っていたくない感覚感情を持っていることで、実は得ているものがあると、
せっかく絶望を感じ切ったり、恐怖を手放して、セッションがうまくいったとしても、その恐怖や絶望わざわざもう一度自分に取り込んで、持ち出すということを人はしてしまいます。
●絶望していれば、人生をかえずに、このまま、今まで通りの人生が続く。それは嫌だけど楽。楽なほうが勝っている
恐怖や絶望を、わざわざ持ち出して、いちど手放したはずなのに、もう一度自分から抱え込みに行く利得(メリット)は何だと思いますか。
シンプルに回答すれば、今までの人生を変えなくて済む。
ということです。
今までどんなに苦しい人生だったとしても、その苦しい人生の方が慣れ親しんでいるので、その慣れ親しんでいる人生が本人にとっては楽である。だから新しい人生を自ら歩くらいだったら、親の支配下に入る恐怖を持ち出して、今まで通り、目の前に親を置いて、生きていく方が楽である。
というメリットです。
信じられないかもしれませんが、30年も40年も50年も、ずっと苦しい生き方をしてきていると、その苦しい方に慣れ親しんでいるので、苦しくなくなることが苦しくなってしまうのです。
そして親を目の前におかずに、親から解放されて生きると言う事は、自分の力で、自分の人生を切り開いていくと言うことなので、それがすごく怖いと感じてしまう人もいます。
実際には、もう親は目の前にいないし、現実的に考えて、親から何か世話を受けているわけでもないし、親とつながって生きているわけではないのに、親とつながりたい、と言う感覚があることが、その人にとって慣れ親しんだ感覚である場合、仮に親が亡くなっていたとしても、わざわざ目の前に親とのつながりを持ち出して、自分の人生を生きるのを溜めてしまいます。
●絶望に浸っていたいのは、あなた自身。そこにメリットがあるから
さらに、自分がどんなに頑張っても親から愛されなかった、と言う絶望を感じて、親からの愛を欲しかった愛を諦めて、絶望したとしても、いつまでもその絶望に浸っていたいと言う人たちもいます。
そうやって絶望していれば、つまり親から愛されなかった、親はどこへだった、と言う憎しみや悲しみや絶望を感じていれば、当然無気力になりますし、やる気もなくなりますし、生きているのが辛くなってきますし、猫みたくなってきます。無気力になってきます。
そうやって自分を絶望させることで、得ていることがあるんです。
それは、そうやって自分を絶望させて、無気力にさせておけば、自分の力で人生を切り開いていかなくて済む、というメリットです。自分の人生を生きると言うことに向き合わなくて済むと言うメリットです。
親のせいにして、絶望して、過去に自分からしがみつきに行くことで、
自分の生きたい人生と向き合う、自分の欲しい人生を取りに行く、という、新しい生き方に向き合わなくて済むのです。
皮肉なもので、自分らしい人生を行きたい、幸せになりたい、と言いながら、古い生き方にしがみついたり、新しい生き方が怖いので、そこに向き合わずに、自分を怖がらせて、自分を止めてしまっているのです。
●自分はどうしたいのだろう?
この持ち出しの恐怖や絶望の場合、残念ながらカウンセラーは相手を手助けすることができません。
なぜなら恐怖や絶望持ち出しているのは本人であり、すでに解放したはずの恐怖や絶望を持ち出して、メリットを感じているのも本人であり、
本人がもうその利得を手放して、本当に欲しい人生を歩むのだ、と決めない限り、つまり自分が、自分はどうしたいのか、と言うことに本気で向き合い、カットしない限り、周りの人間はどうすることもできないのです。
心理セッションは、答えが欲しい、と言う人には向いていません。占いやスピリチュアルに依存してしまうような人も多いのですが、何かわかりやすい指示や、あなたはこうしたほうがいいですよ、と言う他人の意見に従いたい、自分の頭では考えたくない、自分では決めたくない、自分では責任を取りたくない、と言う人は、最後の最後に、この恐怖や絶望を持ち出すことで、また元の場所に戻ろうとします。
大切なのは、自分は一体どうしたいのか、自分はどう生きていきたいのか、自分が生きたい人生を生きたら、きっと不安や混乱や、感じたことのない恐怖が出てくるかもしれない、それでも古い生き方を捨てて、新しい生き方が欲しいのか、自分の人生を生きたいのか。
と言うことに真剣に向き合わなければいけないのです。
大切なのはいつだって、自分がどうしていきたいのか、そして自分の選択に責任を持ち、その上で自分の人生を自分で責任を持って歩む、ときめることなのです。
今日は持ち出しの恐怖や絶望について説明してみました。
機会を改めてまたお話ができればと思います。