みなさんこんにちは、橋本翔太オフィス 心理士スタッフの田中です。
ここ数年、生成AIの進歩が目覚ましく、読者のみなさんの中でも何かしらの生成AIソフトを使っていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。
たとえば、いまとても有名な生成AIとして、「ChatGPT」がありますが、これまでインターネットで何か調べ物をするときには、「Google」や「Yahoo!」といった検索ブラウザを利用していたものが、これからはChatGPTのような生成AIに取って代わっていくようになります。
そうなる理由はとてもシンプルで、生成AIで検索することの方が、圧倒的に【便利】だと人は感じるからです。これまでのインターネット検索のように、「怒り 対処法 効果」などとキーワード単位でその組み合わせを考えながら検索せずとも、「怒りを鎮める効果的で簡単な方法を5つ教えて」と、人に直接訊くような話し言葉で入力するだけ済み、その検索結果もインターネット上のページや記事を単に出してくるのではなく、人が丁寧にしっかりと回答してくれたような結果を文章で返してくれます。
【便利】というのは、役に立つという意味に加えて、効率的で、楽である、という側面があります。特に、生成AIはそういった色の濃い便利さを備えています。
さて、このような【便利であること】をとても恩恵深く思う一方で、便利であることによって「失われている”何か”」があるような気がしています。読者のみなさんも、大なり小なりそう感じたことはあるのではないでしょうか。
その”何か”とは、創造性とか、批判的思考力とか、基礎体力とか、色々なことが考えられますが、ここでシェアしたいと私が感じた“何か”というのは、「便利でないものの価値を享受する力」です。
便利さと豊かさは比例しない
言うまでもなく、便利であることはとても素晴らしく、人はそうなることを求めてきました。歴史を遡ってみても異論はないはずです。今この瞬間にも、「もっと便利に、もっと楽に、もっと効率的に」と、どんどん新たな技術が産まれていることでしょう。そして、その便利であることは私たちの生活に自然と溶け込み、当たり前と化して手放せなくなっていきます。
そうなることで、それに準じて私たちの考え方も便利であることばかりに意識が向きやすくなってしまい、それはただ単に、より便利であることを望んでいるのではなく、便利ではないものを排除しようとする考えや行動をも産み出しているようにも思えるのです。本当に便利になることだけが、「良いこと」なのか、はたまた「豊かになること」なのか、どうしてもそんな疑問が頭に浮かび上がります。
便利であることは、目的地へ向かうショートカットのようなものです。確かに目的地へは最短で到達することができるかもしれないですが、その道中に散らばる豊かな出来事や気づきを見落としてしまいます。私たちは目的到達や達成こそが最良だと考えがちですが、実は道中で出会う体験や発見こそが、本当の価値を持つこともあるのです。
授業や講義などで板書された文字を、スマホ写真で一瞬で記録するのではく、一言一句ノートに手書きすることで、より記憶を高める生成効果が得られるかもしれません。
長い動画を倍速再生で視聴せずに、最初から最後までじっくりと見てみることで、重要な部分だけを単に情報処理するだけでなく、話し手や役者の機微に気付き、言葉だけでは読み取れない情熱を感じ取ることができるかもしれません。
大した用事じゃないからとメールや電話で済ませるのではなく、敢えて時間をかけて実際に会いに行ってみることで、相手の豊かな表情や共有する心地よい空間が、ちょっぴり私を幸せな気持ちにしてくれることもあるでしょう。
仕事や課題など、目的への到達に効率性を求められる場合においては、便利であることを追求することはもちろん大切ですが、生きている時間、過ごす時間までもを、ことごとく便利であることばかりに侵食させてしまうと、個性は失われ、感性が麻痺し、「無駄」、「遠回り」、「余白」のような意義を見出せなり、そこに心の豊かさは芽生えにくくなります。
「便利でないものの中」に、実は本質的な価値があり、それを享受する力こそが、便利である現代においてとても大事だと感じます。そしてその力は特別な能力なんかではなく誰もが持っているものであって、意識一つで取り戻し養うことができる力だと思うのです。
発見学習とセレンディピティ
実は今回のトピックに関連するような理論を提唱した心理学者がいます。アメリカの心理学者ジェローム・ブルーナーが提唱した、【発見学習】という学習理論です。
簡単に説明すると、ChatGPTのように、求めた答えをすぐに与えてくれるよりも、自分でその疑問や課題を探究し、なぜそうなるのかを解明しようと努めることが、記憶の定着や理解度がより高まる、という理論です。「便利に、効率的に、楽に、答えを得られるばかりが良いのではなく、遠回りをすることでしか得られないものがたくさんある」という理論は、まさに先ほど述べた「便利でないものの価値を享受する力」に通じるものがあります。
もう一つ、心理学用語ではありませんが、【セレンディピティ】という言葉があります。「偶然から見つける幸運」というような意味なのですが、便利であることに固執して到達した目的というのは、言うなれば必然的で意図的なものです。しかし、必然的で意図的なものを凌駕するほどの幸運が、偶然の中にあるとされるのです。カウンセリングやセラピーにおいても、確かに解決のゴールは定めますが、脇道に逸れた何気ない対話によって記憶が掘り起こされ癒しがより進む、という事例は実はたくさんあります。むしろ、そっちの方が多いくらいです。目的だけに固執したシナリオは、かえって効果が薄くどこか表面的な気さえしてしまいます。
感情の遠回りが与えてくれるもの
そして、私たちが自分の感情や感覚、パーツ(副人格)に意識を向けて、ケアしたり、自己分析したり、時には翻弄されたりと、それはとても地味な作業かもしれないし、非効率で無意味、無駄に感じることばかりかもしれません。いち早く楽になりたいし、嫌な感情を排除したいと思えば思うほど、すごく遠回りしている感覚にも襲われることでしょう。
私自身、感情を感じることは無駄であり、マイナスでしかないと思っていた過去がありました。「怒りを感じたところで疲れるだけ、悲しみを感じたところで情けないだけ、不安や恐れを感じるから何も守れずに力を発揮できないのだ」と、本気でそう思っていたことがありました。
ですが、無意味に思え、非効率に感じ、便利であるとは到底考え難い、日々意図せず流れゆく感情感覚やそれに対する向き合いの道中には、何ものにも変え難い体験価値があります。むしろ、解決への答えはそこにしかないといっても過言ではないほど、遠回りの裏に貴重な発見や幸運が眠っています。
怒りのエネルギーが、実は深い憂鬱状態を防いでくれていたのかもしれないし、深い悲しみが涙を流すことによって、実は心を浄化してくれていたのかもしれません。不安や恐れを感じることができたから、危険を遠ざけ今この瞬間を生きられているのかもしれないわけです。
もし便利であること(嫌な感情は排除することなど)だけに固執し追求してしまっていたのであれば、こういった背景や事情を知ることなく、本質的な価値を享受できずに、ポジティブな感情さえも失っていたような気さえします。
ChatGPTに、「私のこの苦しみの取り除き方を教えて」と何度訊いても納得のいく答えは得られません。発見学習やセレンディピティの視点から、「便利でないものの価値を享受する力」を失わずに養うことが、実は私たちが本当に求めていることへの近道なのかもしれないですね。
心理士スタッフ 田中
