【確証バイアス】人は信じたいものを信じる

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みなさんこんにちは、橋本翔太オフィス 心理士スタッフの田中です。

何かモノを買う時や、どこかお店を決めるときに、私たちはどのようにしてその選択や決定をしているのでしょうか。

衝動的に購入することもあれば、「とりあえずこのお店に行ってみよう」と、深く考えずに決めることもあるとは思うのですが、それが本当に心の底から欲しいモノや、行きたいと思っているお店であれば、多くの人は少なからず事前にリサーチするのではないでしょうか。たとえば、商品レビューの動画や、口コミなどをチェックすることが多いのではないかと思います。

ではなぜ、事前にリサーチを行うのかというと、そこには「失敗したくない」「自分のニーズを本当に満たしてくれるか確認したい」「この選択を後押ししてほしい」などといった気持ちがあるからですよね。

さて、そういったリサーチを行っている中で、ふとこんなことに気付くことがあります。

・「評価の高い口コミばかりをみている気がする」
・「ネガティブな意見を、なんとなく否定したくなる」

欲しいモノであればあるほど、行きたいと思っているお店であればあるほど、こういった現象が顕著に表れる経験を、誰もが一度や二度はあるはずです。

「確証バイアス」とはなにか

これは【確証バイアス】という心理現象なのですが、「自分の持つ信念や価値観を支持するような情報ばかりを集めてしまう現象」です。そして、支持するような情報とは反対の情報、冒頭の事例でいえば、悪い口コミや評価を、見ないようにしたり、受け入れない態度を取ったりしてしまうのです。

自分にとって都合のよい情報を集め(選択)、その情報を都合よく解釈し(解釈)、都合よく解釈した情報のみを記憶に残す(記憶)、という流れで起こり、絶対に曲げたくない信念や価値観であればあるほど、確証バイアスが生じる可能性は高まります。そして、これは誰にでも当てはまる自然な心理現象です。

また、モノ選びやお店選びに限らず、人間関係でもよく見られる現象です。「あの人に嫌われている」と一度思ってしまったら、嫌われていることを裏付ける情報ばかりに目が向きやすくなったりしませんか?でも実際は、相手は全くそんなことを思っておらず、嫌われていないことを裏付ける情報も実はたくさん転がっているはずなのに、その情報に気付くことが難しくなってしまうのです。事実を、事実として見ることができなくなってしまうということですね。

脳は、考えることを嫌う

ではなぜ、確証バイアスが生じるのかというと、一つの要因は、【ヒューリスティック】という脳の仕組みによるものです。

【ヒューリスティック】とは、「入ってきた情報を、簡単に処理しようとする働き」なのですが、目で見て得た情報、耳で聞いた情報など、全ての得た情報を逐一精査していたら脳に負担がかかりすぎてしまいます。なので、既にある認知の枠組み(物事の捉え方)や記憶に当てはめて処理することで、脳の負担を軽減する働きです。

「この素敵な美容師さんなら、理想の髪型にしてくれるはず」と強く思っている人が口コミを調べると、その信念に合う情報のほうが取り込みやすくなります。「この美容師さんに切ってもらって大満足です!」という口コミにはすごく納得するでしょう。逆に、「思った通りの髪型にはならなかった」という口コミは、脳に疑問や負担を与えるため、排除したくなるのです。「なぜこの人はそう思ったのか」とか、「どういう条件下だとそうなるのか」とか、考え出したら枚挙にいとまがないので、脳にとっては、そう考えること自体を面倒くさいと感じ、シャットアウトしてしまうのです。

心は、一貫性を保ちたい

もう一つの要因は、【認知的不協和】です。この用語は聞いたことがあるよ、っていう人が多くいるかもしれませんね。

たとえば、ダイエット中、真夜中にカップラーメンを食べてしまったとき、「やってしまった…」という後悔と同時に、「今日までは仕方ない、明日から頑張ろう」と正当化する気持ちが湧くことがあります。これは、自分の信念(ダイエット中は食べない)と実際の行動(食べてしまった)が食い違うことで生じる不快感を、整合性のある考え方で埋め合わせようとする心理現象です。

「この素敵な美容師さんなら、理想の髪型にしてくれるはず」と思っているのにも関わらず、「思った通りの髪型にはならなかった」という口コミを目にすれば、「それは、たまたまこの人がそう感じただけでしょ」と、批判的な視点を用いて、自分の信念を支持するような解釈をしてしまいがちです。さらには、実際に自分が理想の髪型にしてもらえなかったとしても、「実はこの髪型を望んでいたんだ」と、自分自身をなんとか納得させようとすることもあるのです。整合性、一貫性のある状態へと、心が講じるんですね。

「実は何も知らない」ということを自覚する

【確証バイアス】は誰にでも自然に生じる心理現象で、【ヒューリスティック】によって情報処理による脳への負担を軽減してくれていますし、【認知的不協和】が働いてくれるおかげで整合性や一貫性を高めることにより不快感を緩和してくれています。そういう意味で、確証バイアスにも有用な側面がしっかりと存在します。

とはいえ、確証バイアスが働くであろう重要な意思決定の場面や人間関係などの場面で、それに全てを委ねてしまって良いのかというと、もちろんそうではありません。極端な意思決定によって大きなミスを犯してしまうかもしれないですし、偏った見方によって人間関係がどんどんしんどくなってしまうこともあるからです。「人から嫌われている」という信念に囚われ続けるのは、言うまでもなく苦痛なはずです。

かの有名な哲学者、ソクラテスの考え方に「無知の知」というものがあります。「自分は実は何も知らないと自覚する」という考え方や態度なのですが、確証バイアスに翻弄されないためにとても役立つ考え方であると個人的には感じています。

素敵な美容師に過剰に期待している状態というのは、そうであって欲しいという願望が、その美容師があたかもそうであると、一種の「知っている状態」を作り出していると言えます。もしここで、「自分は何も知らないことを自覚している」のであれば、自分の中の今ある信念や価値観だけに固執せず、中立的な立場を取りながら、冷静に反証的な口コミにも触れられる心の余白が生まれるのです。さらには、知ろうとする好奇心や探究心、あるいは、焦りや不安などを解消しようとするためにも、知ろうとする態度が少なからず芽生えるはずです。全てを中立的にみる必要はありませんが、「無知の知」の前提のもと、偏った見方も中立的な見方もどちらもできるようになると、選択の可能性が広がることでしょう。

世の中は、知らないことや、わからないことばかりですが、だからこそ、「気付ける」のだと思うのです。

心理士スタッフ 田中